東日本大震災・被災地支援ボランティアバス第2弾発進!
大阪ボランティア協会では、企業のCSR担当者やNPOで活動を推進するメンバーによるボランティアバスを企画、第2便を実施した。
6月10日から13日まで、宮城県気仙沼市に総勢30人で活動にむかった。大阪からバスに揺られて13時間。夜9時に仙台に到着。ホテルで一泊後に翌朝7時に気仙沼に出発。仙台と気仙沼は3時間あまり。最初の活動先は唐桑町小鯖漁港のガレキ撤去。小雨がぱらつく中、3階建て家屋の屋根をかすめていったという津波被害の漁港に散乱する様々なガレキを片付けた。唐桑町はマグロの遠洋漁業で栄えた町。「唐桑御殿」と呼ばれる豪壮な家屋は津波で流され、その基礎部分から立派な家屋を想像した。15時までの活動時間に、ほぼ見渡す限りの範囲のガレキを撤去。集積場は小山のようになった。
小雨も昼から一転して晴天。海と空の青、山の緑、漁船の船縁の白、その美しさに参加者みんな、活動の手を止めて、しばし休憩。地盤沈下と満潮時で岸壁まで海面が迫り、長靴の泥を落とすため、岸壁に腰掛けて長靴の足先を海につける。ひんやりした足湯?みたいで気持ちよい。しかし、振り返れば消え去った港町。そのコントラスト、いずれも同じ海のしわざに、海の恵みの豊かさと、反面の厳しさを垣間見る思いにとらわれた。活動地を離れるとき、わたしたちの活動を遠くから眺めていた、おばあさん、その娘さんと覚しき女性と孫。バスの出発に深々とお辞儀をされた。少しでも役に立ったという実感で胸が熱くなった。
翌日は、気仙沼の中心にある「魚市場」。カツオ水揚げのときに使用するコンテナの清掃にかかる。重油がこびりついたコンテナは、タワシやスポンジをつかって、台所用クリームクレンザーでひたすら洗う。お昼までの活動で、124のコンテナを仕上げる。津波によって、市内全域にコンテナが流され、戻ってきたコンテナは1~2割程度。
ボランティアのつぶやき「自分らがこれから食べるカツオを水揚げするコンテナやと思ったら、やっぱりきれい方がええよね」。洗浄活動をレクチャーしてくれた漁師もうなづく。「6月は、カツオの水揚げを実現したいですね」。漁師の褐色の顔。口元にのぞく白い歯は、漁船の船縁と同じ。鮮やかな白をしていて、それはとびっきりの笑顔であった。「今度、気仙沼に戻りカツオを食べに来てね!」という声に、参加者みんな無言の約束を交わしたように思った。
そのあと、気仙沼湾の入り口近くに位置する階上地区に移動、個人宅の畑に散乱する漂着物の撤去に向かう。ここは伊達家仙台藩の塩田跡を見下ろす高台。こんな高台にまで津波は押し寄せ、気仙沼湾の入り口という位置のため、さきほどまで洗浄していた魚市場のコンテナがここにも見つかり、あらゆるものが最終的に漂着したような状態であった。
畑の再生のため、重機を入れる前に、できるだけ人手で漂着物、ガレキの撤去を希望されて、最後の活動として撤去に取りかかる。7回生まれ変わっても見ることがないような無数のハエに目を疑いながら、漂着物をひたすらゴミ袋に入れていく。30人、2時間の活動で、あっという間にゴミ袋の山に。
今回のボラバスも、被災地支援として、また企業の社会貢献、CSRや、NPOによる支援の展開にむけて、もっと根源的には、同じ思いを共有する仲間の連帯の場として、気づきと学びとそれから、いくばくかの現地支援にもつながったように思う。遠方とはいえ、1回行くと、2回目は近く感ながら、そんな継続的なかかわりにつながる活動だと再認識している。
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